逃げ馬の中にはスタート直後から後続を突き放して大逃げを仕掛ける馬がたまにいます。
大逃げを打つということ、それはすなわち前半のペースが速くなるので、最後の最後、失速する可能性が高いです。
しかしながら、大逃げでゴールすることもときどきあります。
今回は、過去の大逃げのなかから今後も語り継ぎたくなるような伝説のレースを紹介します。
《この記事で分かること》
- 大逃げについて分かります
- 過去の大逃げレースを知ることができます。
1:大逃げとは?
大逃げとは、ハナ(先頭)に立った馬が、スタート直後から後続を突き放し、一人旅するかのように逃げる戦法です。
スタート直後は余力があるので、向こう正面の段階で10馬身以上突き放すこともしばしば起こりえます。
G1の舞台はもちろん、未勝利戦やクラス戦でも大逃げは見られます。
ただし、とばすということはハイペースになりがちなので、大逃げを打った逃げ馬は一杯になりやすいです。
そのためあまり大逃げを仕掛ける馬は少ないです。
2:【10選】語り継ぎたい大逃げレース
視聴的には印象に残りやすい大逃げですが、リスクを考えるとあまり大逃げを見かけることはありません。
凡走することもしばしばある大逃げ戦法ですが、大逃げで結果を残したレースを10レース紹介しましょう。
2-1:サイレンススズカの金鯱賞
最初に紹介したいのは逃げ馬の代名詞的存在であるサイレンススズカの金鯱賞です。
クラシックでは結果を残せなかったサイレンススズカが武豊騎手とのコンビ結成を機に、大逃げというスタイルを身に付けようとし、その大逃げが見事に決まったのがこの金鯱賞です。
サイレンススズカの金鯱賞は、競走馬の常識を覆すものでした。
なぜなら、短距離馬並みのハイペースで前半を通過し、そのままゴールまで突っ切るというスタイルを取ったからです。
これまでにもカブラヤオーのような逃げ馬は存在しましたが、あくまでも極小で、サイレンススズカの大逃げが決まるのか、多くの人が注目しました。
この金鯱賞においてサイレンススズカは1000mを58秒1で通過します。誰もが道中で失速すると思いましたが、レース後半も全くペースを落としません。
それどころか、後続との差は広まるばかりで、2着争いが熾烈となったはるか前方で悠々とゴールインしてしまいました。
現在まで伝わるサイレンススズカの逃亡劇は、この金鯱賞を機に確立されたのです。
2-2:サイレンススズカの毎日王冠
金鯱賞を完封したサイレンススズカはその後、宝塚記念で悲願のG1タイトルを手にします。
この年の秋の最大目標は天皇賞(秋)でしたが、秋の初戦として選択したのが毎日王冠でした。
この年の毎日王冠はサイレンススズカに対抗する2頭の馬がいました。
サイレンススズカより一つ年下のエルコンドルパサーとグラスワンダーです。
どちらも無敗でG1タイトルを手にした馬でしたが、両頭とも外国産駒だったためにクラシックへの出走権利が与えられませんでした。
この2頭の陣営が選択したのが毎日王冠です。事前にサイレンススズカが出走することを知ったうえで、サイレンススズカ相手にどこまでの競馬ができるのか試したくなったのでしょう。
快速馬VS2頭の無敗のG1馬の参戦に、東京競馬場はG2レースにも関わらず13万人もの観客が押し寄せました。
レースは、これといった逃げ馬もいなかったことからサイレンススズカがハナに立ちます。
1000mの通過タイムは57秒7です。
いつものようにハイペースを刻むサイレンススズカに最初に仕掛けたのがグラスワンダーでした。
3コーナー辺りで息を入れたサイレンススズカに並びかけることで豪脚を披露しようとしたのですが、並ぼうとする前にサイレンススズカは加速します。
タイミングを逃したグラスワンダーはこの一瞬の判断が致命的となり、最後の直線で一杯となってしまいます。
最終コーナー、あいかわらず先頭に立つサイレンススズカに今度はマイル王のエルコンドルパサーが勝負を仕掛けました。。
エルコンドルパサー陣営は正面から勝負をすればサイレンススズカに勝てると判断し、真っ向勝負を仕掛けたのですが、サイレンススズカとの差は縮まらず、サイレンススズカが逃げ切ったのです。
2頭の挑戦状を最大限のパフォーマンスでねじ伏せたサイレンススズカの毎日王冠は、いまも伝説のレースとして語り継がれています。
2-3::ツインターボのオールカマー
90年代を代表する大逃げ馬といったらある意味サイレンススズカ以上のものがあるかもしれません。
ツインターボはスタートが非常にうまい馬で出走した33のレースすべてでハナに立ちました。
しかし、その反面ペース配分というものを全く身に付けておらず、スタートから常にハイペースで大逃げを仕掛けるも、最後にバテて失速するのが通例となっていました。
しかし、そんな走りを見せるツインターボでも勝ち切ったレースがあります。
1993年のオールカマーです。
このレースでは菊花賞馬のライスシャワーや桜花賞馬のシスタートウショウが参戦しましたが、G1馬などお構いなしに大逃げを仕掛けます。
1000mを59秒5と、比較的早いペースで走ったツインターボは、最後の直線に入っても脚を削ぐことなく競馬をし、2着馬に0.9秒差つけて完走しました。
実は、ツインターボはスタートから飛ばすため、ほかの逃げ馬や先行馬はついていこうとはしません。
なぜなら共倒れするリスクがあるからです。
そのため必然的に1頭だけ大逃げする形になりますが、最後の最後まで体力がもってくれればこのオールカマーのように逃げ切ってしまうのです。
大敗することもかなりありましたが、それでも常に先頭に立って自身の競馬を貫いたツインターボはG1タイトル未勝利ながらも、いまでも愛される名馬なのです。
2-4:セイウンスカイの菊花賞
横山典弘騎手とのコンビで菊花賞を制したセイウンスカイは前走の京都大賞典において、大逃げから後続を寄せ付けて再び突き放すという離れ業で古馬相手に勝ち星をつかみました。
最後の一冠を賭けた菊花賞においてもその競馬が実現されます。
ハナに立ったセイウンスカイは最初の1000mを59秒6のハイペースで通過します。しかし、あいだの1000mは64秒3と一気にペースを落としました。
前走の京都大賞典のような緩急のある競馬で後続との差がいったんは縮まりますが、残り1000mを切ったあたりで再び後続を突き放します。
最後の1000mは59秒3で走破しており、2着に入線したスペシャルウィークに3馬身半差つけて完勝しました。
逃げ切るのは至難といわれる菊花賞において、これほどまでに道中で息を入れて、後続を寄せ付けての逃げ切りを演出した横山典弘騎手。
このころから、横山典弘騎手の奇策はよこやマジックと呼ばれるようになりました。
また、セイウンスカイの菊花賞は、当時の芝3000mにおける世界レコードも叩き出しています。
2-5:タイトルホルダーの菊花賞
2021年の菊花賞馬であるタイトルホルダーも逃げの競馬を得意としています。
この年の菊花賞は皐月賞馬のエフフォーリア、そしてダービー馬のシャフリヤールが不在で混戦模様でした。
タイトルホルダーは皐月賞2着の実績がありましたが前走のセントライト記念にて、包まれたことで大敗し、この菊花賞では4番人気にまで支持を落としていました。
しかし、人気を落としたことがかえって警戒を薄くし、楽々とハナに立つことができました。
先頭に立ったタイトルホルダーは最初の1000mを60秒ジャストで通過すると、あいだ1000mでは思いっきり息を入れるようにペースを落としました。
あいだ1000mの通過タイムは1分5秒4です。当然後続もタイトルホルダーに詰め寄りました。
しかし、この間に思いっきり息を入れたタイトルホルダーはそこから一気にペースを上げると最後の1000mを59秒2で走破。後続に5馬身以上つけて完勝しました。
競馬はブラッドスポーツといわれますが、騎手の子も能力を引き継ぐのでしょうか。
父横山典弘騎手がセイウンスカイで魅せた競馬を再現するかのような競馬で、古参ファンを唸らせたのです。
2-6:クイーンスプマンテのエリザベス女王杯
これまでの大逃げは逃げ馬の実力と騎手の力量をもってしてつかんだ結果ですが、クイーンスプマンテが大逃げを決めたエリザベス女王杯はやや異なります。
このレース、3歳時点ですでに桜花賞とオークスの二冠を手にしたブエナビスタに人気が集中しましたが、結果的に勝利したのは11番人気のクイーンスプマンテでした。
追い込み馬のブエナビスタに対抗意識が集まる中、この年オープン馬になったばかりのクイーンスプマンテがハナを切り、そしてテイエムプリキュアが番手で競馬をしました。
好発を切ったクイーンスプマンテとテイエムプリキュアはスタートから大逃げを仕掛けます。
向こう正面で8馬身差ほどの間隔を空けて大逃げを仕掛けた2頭は京都の3コーナーの頂上時点、ラスト3F時点でもまだ20馬身以上後続と差を開けていました。
もちろん、ハイペースではない中でカワカミプリンセスやブエナビスタといった有力馬は向こう正面から進出を開始しますが、スローで余力を残した2頭は直線でも逃げ切りを図ります。
有力馬のブエナビスタが上がり最速の32秒9の末脚で猛追を仕掛けましたが、距離を稼いでいた2頭には届かずの3着で、逃げたクイーンスプマンテが勝利をつかんだのでした。
このレース、クイーンスプマンテの1Fにおけるラップを見ると
12.5 – 11.3 – 12.2 – 12.3 – 12.2 – 12.2 – 12.3 – 11.8 – 11.7 – 12.2 – 12.9
1000m通過タイムが60秒5とハイペースどころか極めてふつうの時計です。
しかしながら、各馬が対ブエナビスタを意識しすぎたことで、逃げた2頭にとって最良の競馬となったのです。
これが競馬の恐ろしさ―――。
実況者が漏らしたように、普段なら全く起こりないことが、起こるのが競馬の恐ろしさでしょう。
逃げた2頭が演じた波乱、そしてブエナビスタの猛追など、2分20秒の間にいくつものドラマが生まれたこのレースをエリザベス女王杯の代表的なレースとして挙げる人はいまでも多いです。
2-7:タップダンスシチーのジャパンカップ
タップダンスシチーはそれまで先行競馬を得意としていましたが、G1レースになるといまいち物足りないものがあり、なかなか大舞台で勝利をつかむことができませんでした。
タップダンスシチーが自分の競馬を覚えたのが2002年の有馬記念です。
13番人気ながらも先行競馬からのまくりで2着に入線すると、翌年から本格的に逃げを打つことが多くなりました。
それまで厚い壁だった重賞タイトルをつかんでいどんだジャパンカップは並みいる強豪を差し置いてスタートから大逃げを仕掛けます。
最後の直線で有力馬が追い込みを開始しますが、すでにセーフティリードを確保したタップダンスシチーには余裕がありました。
後続を置き去りに、悠々逃げ切りを果たしてG1、それも格のあるジャパンカップという大舞台で勝利をつかんだのでした。
2-8:メジロパーマーの有馬記念
ダイタクヘリオスとの爆逃げコンビで有名なメジロパーマーの大逃げが決まったのは1992年の有馬記念です。
メジロパーマーはこの年の宝塚記念を制しておきながら、近2戦が凡走していたことで、15番人気にまで評価を落としていました。
しかし、この有馬記念では内枠から好発を切った大逃げをダイタクヘリオスとともにします。
2周目の3コーナー時点で15.6馬身後続に差をつけたメジロパーマーは直線に入ってスパートをかけます。
元々マイラーだったダイタクヘリオスはさすがに一杯となり馬群に沈みますが、相方の思いを胸に、ラストスパートを仕掛けたメジロパーマーは好位から末脚を伸ばすレガシーワールドを抑えて見事優勝!
史上6頭目となる同年内の春秋グランプリレースを制した馬となりました。
2-9:スマートファルコンの帝王賞
砂のハヤブサといったらスマートファルコンでしょう。
現在でもダート界における最強の逃げ馬として名高いです。
スマートファルコンの大逃げが感極まったのが2011年の帝王賞です。
逃げの競馬で幾多の重賞、G1タイトルを手にしたスマートファルコンはこのレースにおいても逃げで勝負します。
スマートファルコンの後ろにも3頭追走を仕掛けましたがそこから後ろの間隔は10馬身以上ありました。
そして、最後の直線に入るとさらに加速するスマートファルコン。
番手で競馬をした3頭を突き放して、逃げ馬ながら上がり最速のタイムを叩き出して見事勝利を手にしたのでした。
スマートファルコンは2011年の出走したすべてのレースを勝利し、芝のテイエムオペラオーに匹敵する活躍を見せました。
最終的には腱鞘炎のために引退しましたが、ダートにおける逃げ馬といったら間違いなくこの馬だったのです。
2-10:エイシンヒカリのニュージーランドトロフィー
ディープインパクト産駒のエイシンヒカリも個性の際立った逃げ馬です。
とくに、個性が発揮されたのがオープンレースのニュージーランドトロフィーに出走した時でした。
スタートからハナに立ち快調に飛ばすエイシンヒカリは最後の直線に入っても先頭をキープしようとします。
しかし、若気の至りか、スパートをかけるたびに少しずつ外ラチに向かって斜行をしてしまいます。
余分に距離を走ったことから後続が一気に詰め寄りましたが、最後の直線、馬場のもっともよい外ラチ沿いまで移行したエイシンヒカリは父譲りの加速を活かし、差し返して勝利をつかんだのでした。
テレビ映えする個性的な逃げを行いましたが、この一戦で気性難も問題視されました。
しかしながら、その後はトレーニングを重ね、このニュージーランドトロフィーにおける斜行癖は治りました。
そして、持ち前の逃げを活かした競馬で最終的にはG1タイトルを2つ手にして引退し、無事に種牡馬入りを果たしたのです。
まとめ
大逃げで結果を残した馬の代表的なレースを10レース紹介しました。
圧倒的なポテンシャルで後続を突き放した馬もいれば、変幻自在の競馬で勝利した逃げ馬もいます。
また、相手関係や展開に恵まれて勝利をつかんだ逃げ馬もいますね。
ここで紹介した馬は映像映えもする競馬を行った馬を紹介しましたが、ここで紹介しきれなかった大逃げレースもたくさん存在します。
興味のある方はぜひチェックしてみてはいかがでしょうか。