いつの時代も数多くの名馬がターフを駆け抜けています。
後方から末脚を伸ばして勝利をつかもうとする追い込み馬も例外ではなく、時代の中心となり、競馬界を盛り上げた追い込み馬もいました。
最後方から末脚を伸ばし、多くの観客を沸かせる追い込み馬。
当記事では、過去に活躍した追い込み馬の中からもっとも強いと思われる馬をランキング形式で紹介します。
現役で馬の活躍を見ていた人には共感できるような記事に、そして、その馬を知らない人にも興味を持ってもらえるよう、まとめました。
《この記事で分かること》
- 追い込み馬がどのような馬かが分かります。
- 歴代の有名な追い込み馬が分かります。
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1:豪脚で観客を魅了する追い込み馬
最初に、追い込み馬について簡単に説明します。
追い込み馬はスタート直後、意図的に馬群後方に下げます。
なぜなら、追い込み馬は最後のコーナーから直線、つまりラストスパートでその末脚をフルに活かすことを得意とするからです。
前半は無理せずに先行集団を見るように競馬をし、最後のコーナー、もしくは最後の直線で一気に加速します。
最高速度で馬群を捕らえにかかる姿は目立つため、競馬ファンや競馬関係者の胸中を大いに沸かせます。
そして、過去の名レースには、追い込み馬が全身全霊で勝負することで、レースの質そのものを高めたものもあります。
2:歴代最強追い込み馬トップ10
ここからは、歴代の追い込み馬の中でももっとも優れているであろう馬をランキング形式で紹介します。
評価の目安としては、
- 多くのG1で力を発揮したこと
- 強敵に勝っている
- タイム
- 多くの人が共感を得るであろう馬
この4点を意識しながら、順位を決めました。
発表しましょう!
1位:ディープインパクト
誰もが認める最強馬はこの馬ではないでしょうか。
通算成績は14戦12勝で、国内における連対率100%の名馬、ディープインパクトです。
競馬にくわしくない人でも名前は聞いたことがあると思います。
ディープインパクトは、デビューから引退まで手綱を握った武豊騎手がはじめて騎乗した際、
「他の馬とは(走りが)違う。まるで飛んでいるようだ。」
といわせるほど、他の馬にはない末脚を身に付けていました。
デビュー戦は上がり33秒1の末脚で勝利します。
続く若駒ステークスにおいて武豊騎手は持ったままで、ディープインパクトも馬なりでしたが、上がり最速33秒6の末脚で2着馬に5馬身差つけて勝利しました。
続く弥生賞はアドマイヤジャパンのクビ差でしたが、直線で鞭を入れられていないので着差以上に余力を持って勝利しています。
この時点で他の馬とは一線を画す存在となっていました。
そして、人気を背負った皐月賞では出遅れも全く問題にせず勝利し、ダービーでも14万人の観客の期待に応えます。
菊花賞に至っては単勝支持率79%で元返しになるほどでした。期待に応えて勝利したディープインパクトはシンボリルドルフに次ぐ、無敗の三冠馬となりました。
暮れの有馬記念では調教で動けていないのが結果に反映され、ハーツクライの2着に入選してしまいます。
ところが、古馬になってからは再び飛ぶような走りを見せ、天皇賞(春)・宝塚記念・ジャパンカップ・有馬記念を制して有終の美を飾りました。
ちなみにディープインパクトに勝ったハーツクライは、「ディープインパクトに先着」したことが高く評価され、種牡馬入りを果たしています。
また、このときハーツクライに騎乗していたのは当時短期免許で来日していたC.ルメール騎手です。
ルメール騎手はこの有馬記念が日本で手にしたはじめてのG1タイトルでした。
5歳馬でもまだまだ活躍できるだけの力はありましたが、ポストサンデーサイレンスの最有力候補として期待されていたこともあり、4歳の有馬記念を最後に引退します。
引退後、種牡馬としても成功し、数多くのG1馬を輩出しました。
有名な馬をピックアップすると
- G1タイトル7勝を手にした女傑ジェンティルドンナ
- 無敗の三冠馬となったコントレイル
- 最強マイラーともいわれたグランアレグリア
- 2012年のダービー馬であるキズナ
- 2016年の菊花賞馬、サトノダイヤモンド
ほかにも数多くのG1ホースを輩出し、キングカメハメハと種牡馬の二大巨塔を為していましたが、2019年に頸椎の骨折のため亡くなりました。
ディープインパクトが亡くなってからも、まだまだ産駒はターフを走っています。
現役馬としても、種牡馬としても競馬界に貢献をもたらしたディープインパクトこそ、歴代の追い込み馬のなかで最強といえるのではないでしょうか。
2位:アーモンドアイ
ロードカナロアの種牡馬価値を大いに高めたのは2018年の牝馬三冠を成し遂げたアーモンドアイでしょう。
父は名スプリンターのロードカナロアで、母はエリザベス女王杯を制したフサイチパンドラです。
アーモンドアイは晩年こそ先行馬のイメージが強いですが、デビュー当初は追い込み馬として頭角を表していました。
アーモンドアイの末脚が垣間見れたのは3歳のシンザン記念です。
年始に開催されるシンザン記念は季節的な影響もあり、タフな舞台で開催されやすいです。
この年のシンザン記念は霧雨の影響もあり、稍重で開催されました。
牝馬ながらも1番人気に支持されたアーモンドアイはゲートで出遅れ、最後方からの競馬となります。
ところが、先行有利な舞台で追い込み勢が苦しむ中、一頭だけ馬場の外目から抜群の手ごたえで先行集団をかわしたのがアーモンドアイでした。
異次元の末脚で勝利したアーモンドアイは、続く桜花賞でも1番人気のラッキーライラックを捕らえて勝利し、オークスでも距離不安をものともしない走りであっさり二冠を手にします。
秋の初戦、ぶっつけで挑んだ秋華賞は京都の内回りで開催されるコースです。
ただでさえ追い込み馬にとって不利な舞台で、アーモンドアイは最後の直線、コーナーからゴールまで300mにも満たない距離の中で猛追し、前を走るミッキーチャームを捕らえて勝利しました。
古馬になってからは先行馬としての素質も開花していましたが、この時期のアーモンドアイは典型的な追い込み馬だったのです。
また、アーモンドアイの活躍は一種の競馬界の常識も覆しています。
それは、【外厩】におけるぶっつけでのG1制覇です。
かつて、休み明け初戦でG1レースに挑むことは無謀とされていました。
なぜなら、長期休暇をはさんだ馬はなまっているので、いきなりレースに出ても勝つのは容易ではなく、前哨戦でレース間隔をつかんで本番に備えるのが一般的でした。
ところが、アーモンドアイは桜花賞も、秋華賞も、そして古馬になってからもG1にぶっつけで挑んで好走しています。
その背景にあるのが【外厩】です。
外厩とは、馬を鍛える調教施設のことを指しますが、JRAが胴元のトレセンと違い、民間企業が運営しています。
代表的な外厩は【ノーザンファーム天栄】ですね。
トレセンや海外の調教施設をヒントに設立された外厩は、大幅なトレーニング効果をもたらすため、無理にステップレースをはさまなくても強い馬づくりが可能になりました。
そして、外厩の効果を存分に世に広めたのがアーモンドアイだったのです。
アーモンドアイを筆頭に、グランアレグリアやフィエールマン、最近の馬でいうとエフフォーリアも外厩経由でぶっつけでG1レースを勝っています。
競馬界の常識をひっくり返したアーモンドアイは最終的にG1タイトルを9つ手にして引退しました。
引退後は繁殖牝馬入りし、2022年1月にエピファネイアの仔を産んでいます。
3位:ドゥラメンテ
もしもその馬が虚弱体質じゃなければ……。
たくさんのG1タイトルを手にできただけのポテンシャルを秘めていたのがドゥラメンテです。
主な勝ち鞍は2015年の皐月賞とダービーで、キングカメハメハとアドマイヤグルーヴの仔として生誕しました。
アドマイヤグルーヴの父はサンデーサイレンスで母はオークス馬のエアグルーヴ、そして、エアグルーヴの父は凱旋門賞を手にしたトニービンです。
キングカメハメハ、サンデーサイレンス、そしてトニービンと、良血種牡馬との配合で生誕したドゥラメンテは社台ファームの総結晶ともいえるでしょう。
ドゥラメンテはときに、過去の名馬を超えるほどの馬ともいわれています。
クラシック初戦の皐月賞では4コーナーで大きく外に寄れながらも直線の短い中山において、上がり最速33秒9の末脚で勝利しました。
サンデーサイレンスの最高傑作であるディープインパクトが皐月賞で見せた上がりが34秒0なので、コンマ1秒上回っているのです。
また、続くダービーではキングカメハメハが記録したダービーレコードを上回る2分23秒2でゴールしました。
しかも、相手はのちに7つのG1タイトルを手にするキタサンブラックをはじめ、宝塚記念を手にするサトノクラウン、ドバイターフを制したリアルスティールでした。
これら有力馬を赤子扱いするような競馬であっさり二冠タイトルを手にしたドゥラメンテには、菊花賞への期待はもちろんのこと、凱旋門賞を勝つのではないかという声も上がるほどでした。
しかし、この年の夏に両前肢を骨折し、秋のプランは白紙になってしまいます。
古馬になって挑んだのは中山記念です。
同期のリアルスティールやアンビシャスが揃いましたが、追い込み競馬で勝利を収め、怪我明けとしては上々の結果を残しました。
ドバイでは2着に敗れるものの、出走馬全頭が重賞馬という、豪華メンバーとなった宝塚記念でも、前がつまって苦しい中、豪脚を発揮しマリアライトの2着に大健闘しました。
しかし、梅雨時期のタフな馬場が脚に響いたのでしょうか。
ゴール入選直後によれてしまったドゥラメンテは再び骨折してしまい、競走馬引退を余儀なくされました。
引退後、その功績から種牡馬入りを果たしたドゥラメンテ。
初年度産駒のタイトルホルダーがクラシックで活躍する最中、急性大腸炎を患ってしまい、亡くなってしまいました。わずか9歳でした。
ポテンシャルの高さで数多くの舞台で活躍した半面、他の馬よりも脆さも兼ねそろえていたドゥラメンテ。
もしも、虚弱体質でなければもっと多くのG1タイトルを手にしていたことでしょう。
短い生涯でしたが、2010年代半ばの競馬界の主役は間違いなくこの馬でした。
余談ですが、産駒のタイトルホルダーはのちに菊花賞を逃げ切って勝利し、父が出走できなかった舞台で最後の一冠を獲得しています。
4位:ゴールドシップ
芦毛の怪物として、競馬ファンに愛されたゴールドシップも追い込み馬です。
主な勝ち鞍は
- 皐月賞(2013)
- 菊花賞(2013)
- 有馬記念(2013)
- 宝塚記念(2014・2015)
- 天皇賞(春)(2016)
最終的に手にしたG1タイトルは6つです。
ゴールドシップがほかの追い込み馬とは違うのは、父ステイゴールド譲りの無尽蔵ともいえるスタミナをフルに活かしたロングスパートができたことでしょう。
本来、競走馬は全力で3F(600m)、長く脚を使う馬でも4Fが限界といわれていますが、ゴールドシップのスパートは向こう正面からはじまります。
ゴールまでの距離が1000m以上の距離から徐々に進出を開始し、コーナーから直線にかけてもスピードが衰えることなく走る姿に多くの観客は沸きました。
スタミナだけではなく、パワーも兼ねそろえていて、梅雨時期のタフになりがちな宝塚記念を連破しているように、力の求められる舞台でも好走しています。
ただし、ステイゴールドから継いだ気性難も健在で、三連覇をかけた宝塚記念ではゲートで立ち上がってしまい、大きく出遅れるなど、好走することもあれば凡走することもしばしばありました。
その実力は折り紙付きでしたが、凡走しても「ゴルシ(ゴールドシップの略)だから仕方ない」と、ファンも納得し、多くの人に愛された馬だったのです。
6歳になってからもターフを駆けましたが、さすがに年齢的なものもあり、秋のG1前線は期待に応えることができませんでした。
それでも、芦毛の馬体と向こう正面から仕掛ける競馬で、先行集団のみならず、多くのファンの心も捕らえていたのです。
5位:グランアレグリア
歴代最強のマイラーといわれるグランアレグリアは間違いなくディープインパクト産駒史上最強の短距離馬兼マイラーではないでしょうか。
二の足が遅く、どうしても後手を踏んでしまうことから生まれた一級品の末脚は、多くのG1レースでいかんなく発揮されました。
そんなグランアレグリアもデビューからクラシックは意外とパッとしていません。
桜花賞こそ鋭いキレ脚で勝利しましたが、オークスを回避して挑んだNHKマイルはまさかの5着入選でした。
その後長い休養もあり、この当時は同期のクロノジェネシスやカレンブーケドールよりも見劣っていました。
ところが、復帰戦となった阪神カップで直線、抜群の手ごたえで進出を開始し、並入る短距離馬を出し抜いて5馬身差の圧勝劇を見せます。
短距離馬としての素質を開花させたグランアレグリアは古馬の初戦、ぶっつけで高松宮記念に挑みます。
初の1200m戦ということもあり、2着に敗れはしましたが、続く安田記念では当時最強馬だったアーモンドアイを出し抜いて見事勝利しました。
秋の初戦に挑んだのはスプリンターズステークスです。最後方の競馬となりましたが、直線、ラスト1Fだけで前の馬をごぼう抜きして勝利を手にしました。
その後は二階級制覇を狙ってマイルチャンピオンシップに向かいます。
ここではマイルG1馬が8頭も揃い、例年以上に豪華メンバーが揃いました。
このレースでは先行競馬で挑みましたが、グランアレグリアにとって最悪だったのが直線、インディチャンプとアドマイヤマーズのために前が詰まってしまったことです。
インディチャンプに騎乗した福永騎手と、アドマイヤマーズ騎乗の川田騎手がグランアレグリアに包囲網を仕掛けていたからです。
ところが、グランアレグリアの追い込みが光ったのは最後の最後、だれもが負けを確信したラストの100mでした。
なんとか進路を見出したグランアレグリアはそこから信じられないような末脚を発揮し、インディチャンプとアドマイヤマーズを捕らえて見事優勝してしまったのです。
短距離馬としても、マイラーとしても強すぎる末脚で勝利を手にしたグランアレグリアは、過去の名馬、例えばロードカナロアやタイキシャトルと対戦しても勝つであろうという声も上がりました。
5歳になってからは三階級制覇を狙って、大阪杯や天皇賞(秋)にも挑みました。
大阪杯は直線の大雨の影響で4着、天皇賞(秋)はコントレイルやエフフォーリアに先着を許しましたがそれでも3着に入選していて、力のある走りをしました。
最終的には5歳のマイルチャンピオンシップを持って引退しました。
ちなみに、ディープインパクト産駒の芝のG1タイトルで唯一勝ち馬がいないのが高松宮記念です。
もし、グランアレグリアが4歳の時に挑んだ高松宮記念を勝利していたら、産駒の芝G1完全制覇が達成されていました。
6位:ミスターシービー
ミスターシービーは1983年のクラシック三冠を成し遂げた馬で、史上3頭目の三冠馬です。
翌年にタイトルを手にしたシンボリルドルフと比較すると、どうしても注目度の低い三冠馬ですが、クラシックでは当時の常識をあざ笑うかのようなレースで結果を残しました。
水田のような不良馬場開催となった皐月賞では向こう正面からのまくりでスタミナ競馬を仕掛けます。
誰もが一杯になると思いましたが、ペースを落とすことなく一冠を頂戴します。
続くダービーは21頭立てで開催されました。
当時はいまよりも多頭数ということもあり、「1コーナーを10番手以内で通過しなければ勝てない」といわれていました。
ところが、スタートで出遅れたミスターシービーは無理に先行ポジションに加わらず、最後方で身構えます。
スタンドからどよめきが沸くなか、控える形で競馬を行ったミスターシービーは向こう正面で進出を開始します。
最後のコーナーから直線にかけて、ほかの馬に接触して外によれます。非常に危なっかしい競馬でしたがそこから立て直すと、追い込み態勢に入り、見事二冠目を手にしました。
最後の一冠となったのはもちろん菊花賞です。
当時、淀の坂(3コーナーから4コーナーにかけて)はゆっくり上がり、ゆっくり下るのが定石とされていました。
ところが、ミスターシービーは他人が作った常識など無視するかのように、向こう正面からスパートを開始します。
競馬ファンのみならず、観戦していた松山康久調教師も立ち上がるほどでしたが、ミスターシービーは直線に入ってからも失速するどころかさらにスピードを上げてゴール板を通過。
シンザン以来、19年ぶりとなる三冠馬が誕生したのです。
その後、蹄の影響から長期離脱し、久々となった毎日王冠を経て挑んだ天皇賞(秋)では最後方からまくりを開始し、残り300mの地点から加速し、4つ目のG1タイトルを手にしました。
ところが、ミスターシービーはこの天皇賞(秋)を最後に、勝てなくなりました。
この年に”無敗”の三冠馬となったシンボリルドルフとは3度対戦して一度も先着していません。
翌年以降のレースを見ても、勝ち星を手にできていないことから、天皇賞(秋)がミスターシービーのピークだったのかもしれません。
それでも、19年ぶりの三冠馬に競馬界は大いに盛り上がり、競馬ブームの火付け役なったのは事実です。
その勢いは、翌年以降に誕生した三冠馬のシンボリルドルフの活躍でますますヒートアップしました。
そして、その熱は、地方笠松から中央競馬に参戦したオグリキャップが引退する1990年の有馬記念まで続いたのです。
7位:ドゥランダル
ヨーロッパの叙事詩「ローランの歌」に登場する聖剣が由来のデュランダルは、その名に恥じない鋭い追い込み競馬で短距離界を席巻しました。
デビューこそ目立たなかったデュランダル。脚部不安のためにクラシックはおろか、トライアルレースにも出走していません。
古馬で挑んだ中山記念で大きく敗れた後、陣営は思い切って中距離路線を断念し、短距離路線に進出することにしました。
はじめて挑んだ短距離重賞はセントウルステークスでした。敗れはしたものの、3着に入選したことで、秋のスプリンターズステークスに駒を進めます。
ここで人気したのは引退レースでもあったビリーヴでした。サンデーサイレンス産駒最強の短距離馬であるビリーヴがどのような競馬をするのか、それに注目が集まりました。
ところが、デュランダルは出遅れて後方競馬になりながらも、上がり最速33.1秒の末脚でビリーヴを捕らえ、見事勝利を手にします。
当時、父サンデーサイレンス×母の父ノーザンテーストはG1で勝てないといわれていましたが、そのジンクスを打破したのです。
なお、その後、サンデーサイレンス×ノーザンテーストの仔はすこしずつG1タイトルを勝ちました。
有名な馬には名種牡馬となったダイワメジャーや、エアスピネルの母であるエアメサイアがいます。
話を戻し、スプリンターズステークスを手にしたデュランダルは次走、マイルチャンピオンシップに挑みます。
ここでも後方からの追い込み一気で勝利し、短距離馬としての素質を開花させました。
その後も短距離からマイルにかけて、息の長い活躍を見せました。
展開やゲートの影響が露骨に反映される短距離界で3年近く活躍し、グランアレグリアがデビューするまでは短距離界最強の追い込み馬として認知されていました。
種牡馬としてはいまいち結果を残せませんでしたが、その名に恥じないキレのある競馬はいまでも多くのファンの脳裏に焼き付いています。
8位:ヒシアマゾン
ヒシアマゾンは1991生まれの外国馬です。
持ち前の切れ味は、牡馬にも古馬にも通用し、当時軽視されていた牝馬の価値を覆す成績を持ちました。
大外ぶん回しからの追い込みを得意としていて、ほかの馬よりも距離を長くは知らされながらも結果を残していました。
そんなヒシアマゾンが手にしたG1タイトルは意外にも阪神3歳ステークス(阪神JFの前身)とエリザベス女王杯だけです。
桜花賞やオークスは出走すらしていません。
どうして出走しなかったのか。それは、当時の外国馬は格式のあるクラシックレースへ出走することができなかったからです。
もしも、桜花賞やオークスに出走できる敷居が整っていたら、ヒシアマゾンはクラシックでも結果を残していただろうという声はいまもあります。
クラシックこそ出走することができなかったものの、数多くの舞台で結果を残したヒシアマゾン。
例えば、エリザベス女王杯を制した後に挑んだ有馬記念では、三冠馬のナリタブライアンを徹底的にマークした競馬で勝負を仕掛けます。
直線で追い込みを仕掛けましたが、ナリタブライアンはさらに加速し、捕らえることはできなかったものの、3着馬を2馬身以上突き放しての2着入選でした。
古馬になって挑んだ京都大賞典においても、直線からの追い込みだけで牡馬を蹴散らして勝利を手にしています。
牡馬相手に勝ち負けできる牝馬の先駆けとなったのはこのヒシアマゾンです。この馬の魂は、その後活躍する牝馬にも継がれました。
9位:ハープスター
ディープインパクト産駒のハープスターは2歳のころから期待されていました。
期待された理由は、デビュー2戦目に挑んだ新潟2歳ステークスです。
道中最後方から競馬を行ったハープスターは日本一長い新潟の直線でその末脚を存分に発揮しました。
2歳馬としては破格の上がり最速32秒5の末脚で猛追を仕掛けたハープスターは、のちの皐月賞馬になるイスラボニータをかわして見事勝利します。
この一戦で名をとどろかせたハープスターはその後も人気を集めます。
チューリップ賞を快勝して挑んだ桜花賞では大外8枠18番に入ってしまいましたが、元々追い込み馬だったので、馬群に包まれないメリットがあります。
スタート直後、無理せず最後方で競馬をしたハープスターの豪脚に、競馬ファンは度肝を抜かれる思いをしました。
最後の直線、先頭からは10馬身以上離れた位置から、猛追を開始します。
仁川の坂をものともしない、上がり最速32秒9の末脚で、なんと17頭抜きで勝利してしまいました。
同厩の先輩馬でもあるブエナビスタの桜花賞における上がりをコンマ4秒も上回るタイムに多くの競馬ファンが注目したのです。
その後も、オークスで2着に入選したり、夏の札幌でゴールドシップとのマッチレースを制しましたが、3歳で挑んだ凱旋門賞に敗れてから、勝ち星どころか、馬券にすら絡むことができなくなりました。
そして、4歳のドバイシーマクラシックのあとに靭帯の損傷が発覚し、引退することになりました。
10位:シルキーサリヴァン
最後に紹介するのは、アメリカの競走馬であるシルキーサリヴァンです。
生誕したのは1955年なので、いまから60年以上昔の馬です。この馬の活躍を知っている人は相当競馬に熟知されているでしょう。
シルキーサリヴァンのデビュー戦は衝撃的なものでした。
ダート5.5ハロン(1100m)のデビュー戦でシルキーサリヴァンは全く走らなかったのです。
馬なりどころか、レースに集中せず、歩いているのかといいたくなるようなペースで走っていたので、中盤に差しかかったころ、前との差は20馬身近くありました。
ところが、騎手が一発ムチをいれると豹変。残り500mほどからいきなり加速し始めたのです。
騎手もあまりの変わりように振り落とされそうになりましたが、シルキーサリヴァンは末脚を爆発させると前へ前へ詰め寄り、ハナ差で勝利を手にしたのです。
わずか1100mの距離を20馬身後方から勝ち切ったシルキーサリヴァンの活躍に、関係者は大いに沸きました。
しかし、シルキーサリヴァンはその後も”このような”競馬を続けます。
この年の暮れに開催されたマイル戦のゴールデンゲートフューチュリティというレースでは、27馬身差離れた位置から追い込みで勝利しています。
翌年挑んだサンタアニタダービーでは最初の1000m時点で先頭から28馬身差がつけられていましたが、そこから動き出すと、どんどん加速し最終的には2着馬に3馬身半差をつけて勝利しています。
このような競馬をする馬はそれまでにいなかったことから、シルキーサリヴァンは全米で愛されるサラブレッドになりました。
常にぎりぎりの競馬を行うので、負けることも多々ありましたが、それでも観客を魅了する競馬で結果を残し、最終的には種牡馬入りを果たしました。
ところで、どうしてシルキーサリヴァンがこのような競馬を行うかというと、幼少期に患った呼吸器疾患のためといわれています。
ある程度走ってからでないと全力で競馬することができなかったようで、故意ではなく、このスタイルでしか競馬できなかったらしいです。
日本の馬でも、追い込みとまくりで結果を残したミスターシービーがこの症状のために後ろからの競馬スタイルを確立しています。
まとめ
今回は、過去の追い込み馬の中から優れた成績でターフを駆け抜けた馬を紹介しました。
多くの馬は引退した後も種牡馬、もしくは繁殖牝馬として活躍し、その血は現役の競走馬にも引き継がれています。
ここで紹介した馬以外にも優れた末脚で競馬界を盛り上げた馬はたくさんいます。
現在は映像メディアを通して過去の競馬を見ることができるので、興味のある方はぜひ追い込み馬の競馬を見てみてください。